南海トラフ地震警戒情報

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【スマトラ島沖地震】なぜ東日本大震災の10倍を超える死者を出したのか!?

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東日本大震災とスマトラ島沖地震


3月11日、東日本大震災。
テレビの映像越しでも、その凄まじさに驚き、いまだにその恐怖は昨日のように思い浮かべられます。


白い波頭を立てながら押し寄せる真っ黒く巨大な波。


逃げるすべもなく飲み込まれていく人々や車、簡単になぎ倒される木や家屋、丈夫なコンクリート構造の建物までも破壊しながら勢い衰えることなく進んでいく津波。


この映像が、自分の住む日本列島で、今まさに起こっていることだという現実を受け入れるのには相当な時間が掛かりました。



約2万人、東日本大震災によって犠牲になった人の数です。


当然、映像には映し出されることはありませんでしたが、津波が引いた後の風景は多くの人々にトラウマを与えたに違いありません。


瓦礫だらけの街に、視界に入れずに歩くことも許されないほど無数の泥だらけの遺体。



この数年前にはスマトラ島沖地震が発生していました。


その大津波によって犠牲になった人の数は22万人



まさに同じようなことがこの日本でも起きてしまったのです。



なぜ東北の10倍を超える犠牲者が出たのか?


しかし、なぜスマトラ島沖地震では東北の10倍以上もの死者・行方不明者が出たのでしょうか?



その大きな原因は「地震、津波に対する無知」によるものだと考えられます。


通常、大きな地震が起きた後に潮が引けば、津波がやってくるというのは日本であればほとんどの方が認知しています。


しかし、スマトラ島沖地震では、潮が引いた海岸に魚を獲りに行く人も見られました。



また、津波は1回だけではなく、第一、第二、第三波と繰り返し襲ってくるため津波警報が完全に解除されるまでは避難場所から動かないことが絶対です。


そのことすら知らなかった人たちが第一波のあとに、海岸に引き返したり、自宅へ向かったりして、続けてやってきた第二波の津波に飲み込まれてしまいました。



そしてもう1つ、津波に対しては一般的になるべく高い場所へ、なければ鉄筋コンクリート造のビルなどへ避難することが常識です。


しかし、このインド洋大津波に飲み込まれた多くの人々は垂直に避難するより、水平に逃げようとしていました。


陸に上がった津波は、障害物も関係なく時速40キロ近いスピードで突き進みます。


とても人間が走って逃げられるものではないのです。


それに加えて、震源地から1600キロも離れたスリランカにまで津波が押し寄せてくるとは、誰も予想していませんでした。



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スマトラ島沖地震の大津波は事前に観測されていた?


1949年、チリ地震によって引き起こされた津波の被害を受けて、ハワイに「太平洋津波警報センター」というものを作りました。


このセンターでは、環太平洋諸国の沿岸各地の沖合約1キロのところに設置した観測機器で波の高さを測定して、その情報を国際的に共有しています。



また、1996年以降は、陸からさらに離れた海底にもセンサーを設置しています。


このセンサーで波の高さを測り、データを人工衛星に送信しています。



スマトラ島沖地震による津波の発生も太平洋津波警報センターでは観測していましたが、それを伝えるシステムがなかったのです。



過去に日本を襲った津波


わかっているだけでも日本でも、過去に数多くの津波が襲っています。



1896年の明治三陸津波では、東日本大震災同等の人的被害で2万人以上の死者を出したとされています。



1933年にも同じ三陸地域で津波が起こり、死者・行方不明者3064人を出しました。




1944年には東南海地震が発生。
死者・行方不明者1223人、家屋全壊1万7599棟の被害が出ています。


そして、そのわずか2年後の1946年12月21日、立っていられないほどの強烈な揺れが襲った直後、和歌山県田辺市の海岸では一気に潮が引き始めました。


その後、大きな轟音とともに巨大な波が陸地に押し寄せてきました。


これが前回の南海トラフ沿いで発生した「昭和南海地震」です。


市内には約6メートルの津波が襲い、わずか10分間で市のほぼ全域の海岸を津波が襲っています。


昭和南海地震での死者は1330人、全壊家屋は1万1591棟、流失家屋1451棟でした。




そして1993年7月、北海道南西沖地震が発生。


そしてわずか3分後に奥尻島西海岸に津波が押し寄せました。


海岸を襲った津波の高さは約15メートルと推測され、陸地に流れ込んだ海水の塊は谷すじを駆け上がって、最終的には標高30.6メートルにまで達したのです。


この津波による犠牲者は約220人にも及びました。




日本列島は海に囲まれた国であり、どこに住んでいても津波のリスクは抱えているということを忘れてはいけません。


関東などの首都圏でも相模トラフ沿いの地震により、大津波が発生ましたし、太平洋沿岸だけでなく新潟県などにも津波が襲った経験があります。


まさにどこで地震が起き、どこを津波が襲ってもおかしくないのです。