南海トラフ地震警戒情報

Twitterにて減災活動、情報発信を行っています。@T1ZEg2jynaj9lQ7


日本の歴史上最悪の被害を生んだ「関東大震災」 デマ情報や不十分な法制度が生んだ悲劇!

f:id:tsukasa-fp:20190502231315j:plain



日本史上最悪の被害をもたらした地震


1923年9月1日午前11時58分、M7.9の揺れと津波、大火が7府県を襲いました。


死者・行方不明者の総数は約14万2700人、全半壊焼失建物数が70万棟超という、日本の歴史上最悪の被害をもたらした大災害、「関東大震災」です。



事態を重くみた政府は、翌9月2日、帝国憲法八条に基づいて、戒厳令を宣言しました。


戒厳令は戦時や内乱時に、軍隊に国民生活を統治させるために発令される超法規的な措置であり、自然災害に際して宣言することが適切だったかどうかは疑問がありました。


関東戒厳司令官命令には、戒厳令施行の目的として「不逞の挙に対して、罹災者の保護をすること」が挙げられており、戒厳の対象は「自然災害」ではなく「社会治安」でした。



警察の目の前でも行われていた犯罪行為


震災直後の被災地には「法の支配」が存在しませんでした。


震災後の混乱に乗じて社会主義者が襲われる事件や、朝鮮人や中国人をターゲットにした事件が多数発生しました。


このような事件は、暴徒化した大衆などによるものもありましたが軍隊によるものが少なくありませんでした。


そして、軍隊による事件の多くは裁判にも軍法会議にもかけられていないのです。



民間人による事件でも一部は刑事裁判になりましたが、その件数は限定的です。


それよりも衝撃的なのは、警察の目の前で多くの人が襲われていたことでした。



こうした事件の背景には、戒厳令によって社会にもたらされた官製の過剰な緊張感や、報道媒体も巻き込んだ大規模なデマの横行、そして口づてに伝わる根拠のない情報を国が作り出していたということがあります。



なぜ関東大震災の悲劇は起きたのか?


内務省警保局が船橋海軍送信所から9月3日午前8時15分に各地方長官宛に打電した記録には次のようにあります。



東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。


既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て十分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし。



法の支配とは、「人の支配」を排斥し、国家権力が正しい法の下に拘束されるという原理をいいます。


重要なポイントは「正しい法」であることで、つまり個人の人権を尊重する法原理を欠かしてはならないことと、支配を受けるのは「権力」であり民衆ではないということです。


人々の人権をないがしろにする政府の命令や、悪法の下には法の支配は存在しないのです。


関東大震災は、まさに法の支配の欠如した世界で起きた悲劇でした。



国がすべてを行うか?自治体に任せるか?


政府の動きは当初は早かったのですが、時を追って混迷と後退が目立ってきます。


当時、内務大臣だった後藤新平は、9月6日に「帝都復興の議」を諮り、東京と横浜の復興について国が全権限を横断的に掌握する帝都復興院を設立しました。


しかし、反対論も強く「帝都復興審議会では区画整理は政府ではなく自治体に任すべき」等という意見も出て、政府の混乱が続きました。


その結果、約半年で帝都復興院は内務省外局の復興局に格下げになり、事業規模は縮小され、国の事業を仕分けして、区画整理などの事業は地方自治体において行われることになりました。


国と地方の役割分担は、関東大震災の主要論点の一つでした。



法は不十分だと紛争が起こる


当時はすでに西洋建築のアパートなどによる近代市街地が形成されていました。


しかし、「市街地建築物法」は耐震性を考慮していなかったため、震災後の改正で耐震基準が設けられました。



震災後に国内外から集まった義援金を原資にして、1924年、内務省社会局の外郭団体である同潤会が設立されました。


同潤会は、被災者向けの応急仮設住宅や戸建ての公営賃貸普通住宅を建築したほか、東京や横浜などに計16カ所の鉄筋コンクリート造のアパート型の公営賃貸住宅を建てたことで知られています。



また、被災地にはバラックと呼ばれる仮小屋が建てられました。


その多くが借家人(家主から家を借りて住む人)らによるものだったため、土地の占有権限があるかどうかをめぐって議論が起きました。


災害による民事紛争は裁判にも持ち込まれ、訴訟件数は爆発的に増えました。


法制度が不十分だと、災害時の紛争も多発することになる。これは昔も現代も変わらないのです。



その後、政府は1923年9月16日に「バラック令」を公布して、仮説建築物の建設を認めて一応の保護を図りました。


そして、翌年には「借地借家臨時処理法」を施行して、借家人に対して従来の土地に新たに建築された建物を優先的に借りられる権利を保障しました。