南海トラフ地震警戒情報

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昭和南海地震とその約1年半後に起きた犠牲者5千人超の内陸地震

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紀伊半島沖で発生した昭和南海地震


1946年12月21日の午前4時19分頃、夜明け前の暗闇の中で西日本全体が大きく揺れ始めました。


紀伊半島南端沖から始まった岩盤の破壊が、南海トラフに沿って西に進み、M8.0の南海地震が発生したのです。



高知県の四万十川の鉄橋が落下、四万十市では2421の家屋が全壊して62軒が全焼しました。


柔らかい地層が厚く堆積していた和歌山県新宮市の市街地では多くの家屋が倒れ、別当屋敷町から燃え上がった火は、新町・上本町・下本町・谷王子町など市街の北半分を焼き尽くして58人が亡くなりました。



また、太平洋沿岸を襲った津波は最大6.9メートルまで達し、多くの人が犠牲になりました。


紀伊半島南西端にある田辺湾、さらに奥まった文里湾の田辺市新庄村では、津波の前に潮が引くという伝承がありました。


地震動がおさまってからしばらく後、突然、岸に繋いでいた船が動き始め、足もとの潮が激流となって沖へ向かい始めました。


そして、それを見た人々が驚いて逃げ始めた頃、地震から15~20分後の最初の津波が襲いました。


第三波の津波が最も大きく、この間に26人が犠牲になりました。


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徳島県の海部郡海陽町では、3分近く激しい揺れが続き、揺れがおさまってから数分で道路まで潮が上がり、約20分後に第一波が押し寄せました。


ここでは、津波の前に潮が引き、井戸水が下がるという言い伝えとは違い、一気に津波が襲いました。


二波目が大きく、最大波高は4.5メートルでした。



ゴーッという恐ろしい音とともに押し寄せた帆船や材木が家々を簡単になぎ倒し、すぐに一面が泥の海と化しました。

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海南町の記録には、


妹を背負ったまま死んだ幼い姉、母親が家から出るのを待っていて波に呑まれた子供、手にロウソクを持ったまま逃げ遅れて水死した若い夫婦。
暗闇の中で、さまざまな思いを胸に抱きながら85人の命が失われた。


と書かれてあります。



南海地震で生じた特徴的な地盤変動


南海地震では特徴的な地盤変動が生じていました。


高知県の安芸郡東洋町から高知市、さらに須崎市と四万十市を結ぶ、東西に細長い地域が沈降しました。


逆に、室戸岬や足摺岬などの半島部が、岬の南端ほど高くなるように隆起しました。



沈降量は最大1.2メートルに及び、高知市の下知・潮江付近や、須崎・多ノ郷付近が水につかり、沿岸に顔を出していた岩が小さくなったり姿を消したりしました。


室戸半島の先端は1.3メートル隆起し、室津・室戸岬・高岡・三津・椎名・佐喜浜などの港は浅くなって大型漁船が入れなくなりました。



この地域では、通常は逆の地殻変動がゆっくりと進行しています。


つまり、高知市平野が隆起し、室戸半島は南ほど大きく沈むが、地震時の変動より小さく、その差が地震のたびに積み重なります。


現在、室戸半島南端の海抜180メートル地点には、13万年前の海底に堆積した地層があり、南海地震の地殻変動が古くから繰り返していることがわかります。


このような変動について、プレート境界での変位の他、陸側のプレート内に生じた断層の活動も関与していると考えられています。



また、この昭和南海地震では、数日前から紀伊半島や四国の太平洋沿岸で、浅い位置にある地下水の水位が数十センチ低下したという報告があり、次の活動を予知する重要な手がかりとして注目されています。



プレート境界地震後に必ず起こる内陸地震


プレート境界での巨大地震の恐ろしさは、その地震そのものだけではありません。


その地震による変位を調整するように、次々と内陸部で大きな地震が発生するのです。


2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震も発生後、次々と内陸地震が相次いで発生しました。


東日本大震災の凄まじい被害の様子に、その後の内陸地震の存在は人々の記憶からはかき消されてしまいましたが、これらの内陸地震でも甚大な被害が生じているのです。



死者5千人超の被害を出した内陸地震


昭和南海地震の後に発生した地震で最も被害の大きかったとされる地震がM7.1の「福井地震」でした。



1948年6月28日の午後4時13分、胸に響くような地鳴りとともに大地が激しく揺れ始めました。


道を歩く人は地面に倒れて這いつくばり、屋内の人は壁にたたきつけられ、家並みは土煙とともに倒れ落ちました。



福井市の中心にあった鉄筋7階建ての大和デパートは、ビルの両側が中央より高い特殊な形ですが、真ん中の柱が折れて東半分が20度近く傾きました。

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さらに、地震の直後に裁判所・橋南・呉服町なとから燃え広がった火は、二時間後に市街を覆いました。

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東宝・大衆・国際なとの映画館は倒壊した直後に猛火に包まれ、数百人の観客が命を落としました。


家の下敷きになったままで炎が迫り、助けを求めながら焼死する人が相次ぎ、やむを得ず、梁にはさまれた腕を鋸や鉈で切断して助け出された人もいました。


また、火の勢いが強くて近寄れない肉親や知人に避難を勧め、「さようなら」の言葉を遺して炎に包まれる者もいました。


市内の建物の8割が全壊して2000棟近くが焼失し、福井・石川両県の死者は3769人に達しました。


この福井地震での全体の被害は、全壊家屋が3万5千戸以上、消失家屋が約4000戸、負傷者は約1万人、死者は5千人を超えました。


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