南海トラフ地震警戒情報

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各地で見つかった有史最古の南海トラフ地震の痕跡

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日本書紀


天武天皇は681年に、歴代天皇の系譜を記録した「帝紀」と、諸氏族が伝えた神話・物語を記した「上古諸事」の記録を命じました。


これらを母体として、詔勅などの政府記録や寺院の縁起、諸国に命じて提出させた地理・産物・伝承や個人の手記、百済関係の記録などをもとに「日本書紀」が作られ、720年に完成しました。


日本書紀は、国際的な視点から国の歴史を示し、天武天皇の立場を正当化する目的で書かれました。


中国の王朝交代の歴史を手本とするため執筆者に渡来人を加えており、忠実の改竄や中国史の模倣があると考えられています。



東北大学名誉教授森博氏らは、「日本書紀の謎を解く」(中公親書)で、音韻学、訓詁学の立場から「日本書紀」の各巻をα・β群に分類し、


中国原音によって表記され正格漢文で綴られたα群は唐から渡来した続守言と薩弘恪、倭音で表記され


和化漢文で綴られたβ群の著者は新羅へ留学経験のある山田史御方と紀清人が担当し、全巻を通して三宅藤麻呂が潤色、加筆したと考えました。



地震に関する記述


日本書紀の中で地震の記述が初めて登場するのはβ群の416年8月23日です。



そこには、


允恭天皇が葛城襲津彦の孫の玉田宿禰に反正天皇の殯を命じた。
地震があった日の夜、尾張連吾襲に殯宮の様子を見に行かせると玉田宿禰だけがいなかった。
彼はその時に酒宴をしており、尾張連吾襲を■して武内宿禰の墓地に隠れた。
天皇は玉田宿禰を呼び出したが、衣の下に甲を着けて参上したので捕えて■した。


と書かれており、その日の夜までに地震があったことはわかりますが、被害に関する記述はありません。



α群では642年に「地震而雨」、翌日も「是夜地震而風」、さらに15日後に「夜中地震」、664年に「是春地震」とあります。


β群では599年に「地動、舎屋悉破、則令四方、俾祭地震神」と、地震の被害と祭祀行為が記述されています。



九州北部の大地震「筑紫地震」


日本書紀β群の天武紀では、675年に「是月大地動」677年に「大震動」と大和国での地震が簡単に書かれています。


天武天皇七年条では、九州北部の地震(筑紫地震)について、


12月に筑紫国、大きに地動る。
地裂くること広さ二丈、長さ三千余丈。
百姓の舎屋、村毎に多くたおれ壊れたり。
是の時に、百姓の一家、岡の上に有り。
地動る夕に当りて、岡崩れて処遷れり。
然れども家既に全くして、破壊るること無し。
家の人、岡の崩れて家の避れることを知らず。
但し会明の後に、知りて大きに驚く。


と、つまり、地割れが延々と続いて、多くの家が倒れ、丘陵の一部が滑り落ちたことを詳しく記述しています。


また、最後の一文は、地滑りで滑り動いた家の住人は、夜明けになってこのことを知って驚いたと書いてあります。



福岡県久留米市で見つかった地震痕跡


福岡県久留米市には、大宰府の北の守りとして築かれた水城と対をなす、南の守りの上津土塁があります。


1988年に調査を行った久留米市教育委員会は、上津土塁の一部が滑り落ちて八世紀後半の遺物を含む版築土で修復されたことを知り、筑紫地震の痕跡の可能性が高いと考えました。



2年後の8月、今度は筑後国府跡の大溝発掘地点で、溝を埋めた黒い粘土を引き裂きながら噴砂が上昇した痕跡を見つけました。


七世紀後半頃の地層を引き裂き、八世紀中頃の地層に覆われることから西暦700年前後の地震の痕跡であることがわかりました。



この後、久留米市内の遺跡で次々に地震痕跡が発見されましたが、いずれも679年を含む前後の年代とわかりました。


久留米市の北にある福岡県三井郡北野町の古賀ノ上遺跡でも、北野町教育委員会の調査で見つかった地割れや砂脈が六世紀後半の堅穴住居跡を引き裂き、八世紀の堀立柱建物の柱穴に壊されていました。



久留米市の市街地の東方には耳納山地があります。


山地の北縁に沿う水縄断層帯の活動で南側は隆起して山地となり、北側は沈降して筑紫平野となりました。


1992年に水縄断層帯を構成する追分断層の上にある山川前田遺跡で発掘調査が行われました。


その際に、断層の推定位置を掘り下げると、黒色の粘土層とそれを覆う姶良火山灰が上下に2メートルも食い違っていました。



その後、久留米市教育委員会が追分断層の本格的なトレンチ調査を行い、姶良火山灰が降下した後に3回活動したことが明らかになりました。


最新の活動では、6世紀の土師器を含む地層が切断され、これを13~14世紀の遺物を含む地層が覆っていました。


7世紀から12世紀までの間には、679年以外に大地震の記録がなく、周辺地域から検出された地震痕跡は7世紀後半頃に集中するので、筑紫地震は水縄断層帯の活動によって発生したと考えられます。



有史最古の南海地震「白凰南海地震」


日本書紀の天武天皇13年(684年)の条には、10月14日に発生した地震の記述があります。


人定逮りて、大きに地動る。
国挙りて男女叫び唱ひて、不知東西ひぬ。
則ち山崩れ河涌く。
諸国の郡の官舎、及び百姓の倉屋、寺塔神社、破壊れし類、勝て数ふべからず。
是に由りて、人民及び六畜、多に死傷はる。
時に伊予湯泉、没れて出でず。
土佐国の田菀五十余万頃、没れて海と為る。
古老の日はく、「是の如く地動ること、未だ曾より有らず」といふ。
土佐国司言さく、「大潮高く騰りて、海水ただよふ。是に由りて、調運ぶ船、多に放れ失せぬ」とまうす。


簡単に略すと、午後10時頃に地震が発生し、広い地域が激しい揺れに襲われ、太平洋沿岸へ津波が押し寄せ、高知平野が沈降して、道後温泉の湯が止まったなどということが書かれています。


つまり、プレート境界で発生した巨大地震で、高知を大津波が襲ったという記録から「南海地震」であったと考えられます。



1946年の昭和南海地震では、近畿南部、四国を中心にした広い地域が激しく揺れ、太平洋沿岸に津波が押し寄せ、高知平野が沈んで、室戸半島は南ほど高くなるように隆起し、道後温泉の湯が止まりました。


このような南海地震の特徴は「日本書紀」の記述とほぼ一致しており、684年の地震は「白凰南海地震」と呼ばれるようになりました。



和歌山市「川辺遺跡」

紀ノ川北岸の沖積低地にある和歌山市の川辺遺跡では、和歌山県文化財センターが調査を行い、さまざまな年代の砂脈を検出しました。


最も新しい砂脈は当時の地面から深さ1.8メートルの砂礫層から上昇して、最大幅34センチで東北東~西南西方向に延びていました。


7世紀前半の建物の柱穴を埋めた土を引き裂き、直後に堆積した地層に覆われるので、7世紀後半から8世紀初頭までの年代となります。


奈良県「酒船石遺跡」


奈良県明日香村教育委員会による酒船石遺跡の丘陵斜面の調査では、斉明天皇が築いた石垣の一部が発見されました。


しかし、背後の地層は幅約12センチの地割れを伴いながら、1メートル近く滑り落ち、石垣はだるま落としのように、真ん中の部分が大きく飛び出しながら一気に崩れ落ちていました。


崩れた石垣を覆う地層の年代などから、7世紀末頃の地変とわかります。


淡路島南あわじ市「汁谷遺跡」


淡路島の南あわじ市にある汁谷遺跡でも、兵庫県教育委員会の調査によって、7世紀後半に、当時の住居の床面が砂脈によって引き裂かれ、操業中の窯が壊れた痕跡が見つかりました。


このように、紀ノ川下流、奈良盆地南緑、淡路島南部の低地などの遺跡で見つかった地震の痕跡は7世紀後半頃の年代であり、白凰南海地震で生じた可能性が高いと考えられています。



白凰東海地震の痕跡


静岡県「坂尻遺跡」

1989年に静岡県埋蔵文化財調査研究所が、袋井市内を流れる原野谷川の自然堤防上にある坂尻遺跡の調査を行いました。


その結果、6世紀末から7世紀初頭までの竪穴住居跡や7世紀中頃の地層を引き裂き、8世紀に堆積した地層に覆われる砂脈を発見しました。


翌年、坂尻遺跡の約1万平方メートルを調査した結果、ここでも二十数本の砂脈が、7世紀中頃の住居跡を引き裂いており、住居内の竈を引き裂く砂脈もありました。


この住居が廃絶した後、8世紀に新たな住居が建築されますが、「駅」と書かれた墨書土器が出土したことなどから公的な建物であると考えられています。


すべての砂脈は古い住居跡とそれを覆う地層を引き裂き、新しい住居は砂脈を覆うので、地震の年代は7世紀後半となります。


静岡県「川合遺跡」


静岡県埋蔵文化財調査研究所が調査した静岡市の川合遺跡でも、最大幅5センチの砂脈が南北に延びていました。


砂脈は、7世紀中頃の建物の柱穴と穴を埋めた埋土を引き裂き、8世紀初頭の建物の柱穴は砂脈を壊していました。


愛知県「田所遺跡」

愛知県埋蔵文化財センターは県内の遺跡で多くの地震痕跡を調べました。


1992年には、一宮市の田所遺跡で調査を行い、古墳時代の水田を引き裂いて当時の畦に広がった噴砂を発見しました。


奈良時代から平安時代にかけての遺構が、これを壊しているので7世紀後半頃の地震痕跡ということがわかります。



日本書紀には東海地震の存在を示す記述はありません。


しかし、静岡県の中・東部や愛知県の遺跡から、7世紀後半に激しく揺れた痕跡が発見されたことから、白凰南海地震と同じ頃に東海地震も発生した可能性が高いです。



天武紀に書かれた二つの地震のうち、679年は活断層による地震で、684年はプレート境界の地震です。


どちらも記述内容に矛盾がなく、対応する地震痕跡も存在しています。


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