南海トラフ地震警戒情報

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地震考古学によって明らかになった縄文時代早期~後期の地震の痕跡

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新しい研究分野「地震考古学」


1986年、琵琶湖の北西岸にある現在の滋賀県高島市の北仰西海道遺跡で、発掘調査が進められていました。


ここでは、縄文時代から弥生時代にかけての集団墓地が見つかり、穴を掘って埋葬した土壙墓や、壺や甕に入れて埋葬した土器棺墓などが大量に掘り出されました。


そしてそこには、墓跡を貫いて真っすぐに延びる幅1メートルほどの砂の詰まった割れ目があり、スコップで掘り下げると、数十センチほどの砂層まで続いていることがわかりました。


砂の詰まった割れ目は、地下で水平に堆積した砂層まで達しており、そこから地面に向かって「噴砂」が流れ出した痕跡だったのです。



1995年の兵庫県南部地震では、地面を引き裂いて流れ出した噴砂が細長い高まりを作りました。
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噴砂は地面の少し下にある柔らかい砂層から流れ出します。


堆積してさほど年月を経ていない砂層は柔らかくて隙間だらけです。


そこに、大地震の強い揺れが加わると、砂粒が隙間を小さくするように動いて砂層が縮みます。


隙間を満たす地下水は、圧迫されて水圧が高まり、上を覆う地層を引き裂いて、砂とともに地面に流れ出します。


このように、砂層が液体のように振る舞うのを「液状化現象」といいます。



北仰西海道遺跡では、一緒に埋葬された土器や、遺体を入れた土器棺から墓の年代がわかりました。


そして、縄文時代晩期前葉の墓は砂脈に引き裂かれ、晩期中葉後半の墓は砂脈より後に設置されていました。


つまり、今から3000年あまり前の縄文時代晩期の中葉前半に、この地を大地震が襲ったと考えられるのです。


こうして、縄文時代の地震の痕跡を発見したことにより、各地の遺跡等で地震の痕跡の調査が行われ、1988年には新しい研究分野「地震考古学」が提唱されました。


これまでの地震調査で見過ごされていた地震の痕跡が、新たに研究対象として注目を集めるようになったのです。



九州・鬼界カルデラの破局噴火


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今から約6300年前の縄文時代早期末、鹿児島県南方の竹島・硫黄島を外緑の一部とする鬼界カルデラから巨大な噴煙が立ち上りました。


最初にブリニ―式噴火という、破局的な大規模噴火が起こり、幸屋降下軽石が東北東方向に降り注ぎ、次いで、火砕流が半径100キロの範囲を覆いつくしました。


さらに、上空に舞い上がった火山灰は東北地方にまで降り注ぎました。


当時の人たちが壊滅的な打撃を受けたため、これまで使われていた九州貝殻文系土器群や塞ノ神式土器群が姿を消し、数百年後には、近畿より東に限られていた貝殻条痕文系土器や朝鮮半島起源の曾畑式土器などが九州全域に広まりました。



鹿児島県枕崎市教育委員会が調査した奥木場遺跡などでは、鬼界カルデラの火山活動に伴う地震の痕跡が見つかりましたが、最初の噴火直後に起きた地震では、種子島・屋久島や鹿児島県本土で砂とともに礫(小石)が流れ出していました。



糸静線・生活の痕跡が途絶える


一方、長野県の諏訪湖から約10キロ南に位置する阿久尻遺跡では、茅野市教育委員会が調査を行い、縄文時代前期前半の住居跡や、柱穴が四角く並んだ「方形柱穴列」を検出しました。


これらの遺構は、最大幅1.5メートルで西北西・東南東方向に延びる多くの地割れで引き裂かれており、これ以降、生活の痕跡がしばらく途絶えていました。


地割れが発生した年代は6000年前頃と考えられていますが、この遺跡のすぐ西に北西方向の活断層があり、この断層の活動に伴う地割れの可能性が高いと考えられています。



茅野断層は糸魚川ー静岡構造線断層帯を構成する「活断層」の一つです。


断層帯とは活断層のグループを意味しており、一緒に活動して地震を引き起こす可能性の高い複数の活断層をまとめて断層帯と呼びます。


日本列島を南北に切断する巨大な地層境界である「フォッサマグナ」に沿って発達した糸静線の全長は150キロに及びます。
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諏訪湖南岸では、この断層帯の上にある諏訪市の荒神山遺跡で、縄文時代中期中葉の住居跡が垂直方向に最大60センチ変位していました。



関東、本州最北端の地震の痕跡


関東南西部に位置する相模湾の北岸では、足柄平野と大磯丘陵の境界に活断層が発達しています。


断層で生じた崖付近の丘陵にある神奈川県大井町第一東海自動車道遺跡群では、神奈川県立埋蔵文化財センターの調査で、縄文時代前期の住居跡や土壙とともに多くの地割れが見つかり、約5000年前の地震によることがわかりました。



また、本州の最北端に行くと、青森市街地から南西約3キロで標高20メートルの台地に三内丸山遺跡があります。
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青森県教育委員会の調査で、5千数百年前から4000年前にかけて存続した縄文時代前~中期の大集落が発見されて注目を集めました。


集落には住居、墓、倉庫、ゴミ捨て場などが計画的に配置され、クリを採取しながらヒエやヒョウタンを栽培し、膨大な土器を生産して交易するなどの暮らしぶりが明らかになりました。


さらに、遺物や泥炭質粘土で埋積された谷からは砂脈が見つかっており、当時の人たちが大きな地震に見舞われたことも明らかになっています。



京都府北部、福井県などで大規模地震の痕跡


縄文時代の遺跡が少ない近畿地域では、若狭湾に注ぐ由良川北岸の舞鶴市志高遺跡では、縄文時代早期の住居跡が検出されています。


京都府埋蔵文化財調査研究センターでは、縄文時代前期前葉の地層を引き裂く数センチの砂脈が数多く発見されました。


前期中葉の地層に覆われており、京都府北部が5千数百年前頃に激しい揺れに襲われたことを示しています。



この湾の北東には福井平野があり、この東部の坂井市上兵庫遺跡群V地区では、福井県教育庁埋蔵文化財調査センターの調査で、1948年の福井地震で生じた最大幅20センチの砂脈が多く見つかりました。


さらに、縄文時代中期前半の深鉢・浅鉢を含む地層に覆われ、それより古い地層を引き裂く幅約10センチの砂脈も見つかり、福井平野が縄文時代中期初頭にも大規模な地震に見舞われたことがわかりました。


各地で見つかった縄文時代晩期から弥生時代の地震の痕跡 - 南海トラフ地震警戒情報