南海トラフ地震警戒情報

自ら四国沿岸部へ移住し南海トラフ地震の観測、研究をしています。南海トラフをはじめ、その他の巨大地震などを潮位、地殻変動、マグマ、火山活動や静穏化現象などの様々な異常を総合判断し、警告します。 ※人的被害を減らすのが目的で、予言などではありません。


外国人によって進められた日本の最先端の地震研究!日本人は地震はナマズの仕業だと信じていた!?

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全世界で発生する地震の約10%が日本で起きている


日本は世界有数の地震大国であり、全世界で発生する地震の約10%が日本で起きているとも言われています。


数々の巨大地震が日本各地で発生し、甚大な被害をもたらしてきました。



東日本大震災の原因となった東北地方太平洋沖地震、阪神・淡路大震災の原因となった兵庫県南部地震などの記憶は、今も人々の脳裏に深く刻まれています。


歴史を紐解けば、平安時代の東北沖の貞観地震、江戸時代に2日連続で引き起こされて数千人の死者を出した安政東海地震と安政南海地震、大正時代に関東大震災を引き起こした大正関東地震など、どの時代にも巨大地震が発生し、多くの人命が奪われたことが記されています。



奈良時代につくられた「日本書紀」には、679年の筑紫地震の記述があり、発掘調査の結果、福岡県の水縄断層の活動と考えられています。


なお、その6年後に南海トラフでの巨大地震が発生しています。



巨大地震がいつ、どこで起こるのか。


それに対してどのように備えればいいのか。


それは、現代に限らず、これまでの歴史で何度もその脅威にさらされてきた日本人にとっての、国民的な問題と言っても過言ではありません。




外国人によって進められた日本の地震研究


1855年11月、安政江戸地震と呼ばれる大地震が江戸を襲いました。


東京湾北部から東京都江東区付近の地下を震源とする、マグニチュード7程度と推定される大きな地震でした。


最大深度は6強で、地震や火災により数千人以上の死者が出たとされています。



このときに、「地震ナマズ絵」というものが大量に出回りました。


当時、地震は地下に存在している大ナマズの仕業であると考えられていたためです。


普段は鹿島神が地中奥深くに埋まった要石の呪力を使って大ナマズを押さえつけているけれど、何かの拍子で押さえつけられなくなったとき、大ナマズが暴れて地震が発生すると考えられていました。


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そんな想像を背景に、人々がナマズをこらしめていたり、被災者に対してナマズが謝っていたりという様々な意匠をこらした絵が残されているのです。


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いまでは、地震のメカニズムがある程度解明され、地震の正体が断層であるということが明らかになっています。


そのため、地下の大ナマズが暴れて地震が起こるなんて聞くと「馬鹿らしい」と思うかもしれません。


しかし、こうした今の知見がもたらされたのは、今からわずか100年ちょっと前の明治時代後半からのことなのです。
そして、それは日本に限ったことではありません。




ヨーロッパでは、17世紀には近代自然科学が発展し、ケプラーが太陽を中心とした惑星の動きの法則を解明し、ニュートンが万有引力の法則を見出していました。


しかし、そんなヨーロッパでも、19世紀の半ばを迎えても地震のメカニズムは明らかになっていませんでした。



地震の正体が断層であるということがわかり始めたのは、今からほんの120年ほど前の19世紀末で、地震の原動力となる「プレートテクトニクス」の理論は1955年を過ぎてもまだ確立していませんでした。


大きな理由は、ヨーロッパではそもそも地震の発生が少ないということです。


仮に地質学の伝統を誇るイギリスで日本と同じように地震が起きていれば、人々の関心も高く、研究の必要性や研究材料も多く得られるため、地震の研究はいち早く進んでいたことは間違いありません。



そんな状況が大きく変わるきっかけとなったのが、19世紀末に、アメリカ大陸でフロンティアを求めて西へ向かった人々が、地震の多いアメリカ西海岸に到達したこと。


そして、江戸時代から明治時代にかけて、黒船来航後、欧米の人々が次々と「地震大国」の日本にやってきたことでした。



当時の欧米人にとって未知の国である「日本」、そこを訪れた人々が、ユサユサと揺れる大地に驚き、恐れたことは容易に想像ができます。


生まれたときから地震に慣れている日本人に比べて、そのインパクトは大きく、彼らによって日本を舞台に世界の最先端の地震研究が進められたのです。



中心となったのは、西欧の文明を学ぶために政府などから招かれた「お雇い外国人」と呼ばれた人々でした。


1872年に、このお雇い外国人が東京・日本橋で長さ1.8メートルの振り子を使って、日本初の地震観測を実施しました。


そして1875年には、現在の東京・港区にあった内務省地理寮構内に「東京気象台」が設立されました。


また、そのときにフランスからイギリスに帰化したお雇い外国人が持ち込んだ、イタリア製の地震計が土蔵の中に設置され、日本における定期的な地震観測がスタートします。



1880年に横浜で発生したM5.8の地震を機に地震研究が本格化し、地震学会が設立され、1884年には全国的に地震の震度観測が開始されました。


アメリカ学会の設立は1911年であり、それに四半世紀以上先んじていることからも、日本の地震研究が世界の先駆であったことがうかがえます。