南海トラフ地震警戒情報

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なぜM5以上の地震が起こると大地震が誘発される可能性が高いのか?

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応力伝播


歪みを解放した断層周辺には余震が広がり、その影響は長く残るので、周辺地域が直感的に危険に感じると思います。


活断層はあくまでも地殻内部の切れ目に過ぎません。


地殻自体は延々と連続しているため、大地震を起こした断層の歪みは解放されますが、その周辺の活断層には歪みが伝播し、誘発地震が発生しやすい状態になります。



活断層を境にその周辺は長期にわたって歪が蓄積され、その歪が活断層の強度を上回った時に地殻の反発で地震が生じます。


その際に、隣接する断層には、一瞬にして大きな歪みが加わることになります。


例えば、東北地方太平洋沖地震では、地震発生後に様々な地域で地震が誘発されました。


直後には茨城沖(M7.6)や遠くの日本海溝付近でM7.5の地震、翌日には秋田沖でM6.4、長野県北部でM6.7、15日に静岡県東部でM6.4など、東日本全域で地震を誘発させ、その後の地震活動を活発化させました。


これは巨大な震源域から広域に応力が伝播したことによるものです。



マグニチュードは1小さくなると、放出するエネルギーは32分の1になります。


周辺への応力変化域も、マグニチュードに応じて極端に変わります。


1995年の兵庫県南部地震は東北地方太平洋沖地震と比べると極端に小さいですが、それでも直後に京都や徳島、岡山などで小さな地震が増えました。



熊本地震では、2000年6月8日に日奈久断層帯北端付近で、M5.0の地震が発生していました。


このときにも局地的に震源周辺で応力変化が発生していたと考えられます。


2000年の震源域と近傍で、余震と思われる中小規模の地震がその後も断続的に発生していたのです。


このときの地震のサイクルを観測すれば、熊本地震のような大地震が発生することをある程度予測できた可能性もあります。



また、東北地方太平洋沖地震は3月9日にM7.3の地震が発生していて、その余震域の南端で発生していました。


つまり、余震は誘発地震であり、余震域とそのごく近傍に前本震を起こした断層よりも大規模な断層が存在する場合、余震といえども前本震よりもマグニチュードが大きくなることがあるということです。


そして、熊本地震のように実際に規模の大きな余震が起こると、前本震を「前震」、誘発された地震を「本震」というように後付けします。



M5クラス以上の地震が活断層周辺で発生した場合、活断層密集域であれば特に、本震を上回る地震が発生する可能性があるということを頭にいれておかなければいけないのです。



地殻変動で断層の動きやすさを把握する


熊本地震では、M7.3の本震直後から周辺では多数の中規模余震が発生しました。


震源域外としては、由布市でM5.7、阿蘇市でM5.9とM5.8など広域で地震活動が活発化しました。


熊本地震によって、別府・万年山断層帯付近で通常だと数年かかる変動がわずか10秒程度で生じ、由布院付近の正断層が動きやすくなっていました。


しかし、その一方で別府・万年山断層帯が南北に圧縮されたことにより逆に地震が起こりにくくなった部分もありました。


このように、地震での大地の動きの地域差を見ることによって、周辺の断層の動きやすさを大まかに把握することができます。



遅れて破壊が起きる連鎖型地震


熊本地震での28時間差のM6.5、M7.3の地震はきわめて異例で、観測史上例がないという気象庁の発表には頷けます。


しかし、近傍での短時間の連鎖型大地震は国外を見てみると複数例があります。


歴史地震まで含めると日本でも発生しているのです。



諸大名が下克上で争った戦国時代、とくに豊臣和吉統治の時代は、まさに地震の活動期でした。


1586年に北陸・東海・近畿の広い地域を揺らした天正地震と、1596年に近畿地方を襲った慶長伏見地震などがありました。


この2つの地震の間隔はわずか10年で、その関連性を疑いますが、それぞれが複数の活断層による地震だったことがわかっています。



天正地震は歴史上の記録しかなく、正確で詳細な時間を知ることができず、1つの地震として複数の活断層が「連動」したのか、数分から数十時間の時間差で「連鎖」的に地震が続発したのかはわかっていません。


しかし、露頭観察やトレンチ調査などから天正地震に関連すると考えられる古地震跡が見つかり、強震動域の広がりと地層の痕跡などから、天正地震では、御母衣断層帯、阿寺断層帯、養老・桑名・四日市断層帯が同時、もしくは1日程度の間隔で活動したと推定されています。



天正地震から約10年後に発生したのが、1596年の慶長伏見地震です。


この地震は、史料の調査やトレンチ調査によって、伏見地震だけではなく、数日の間に遠く離れた九州や四国でも大地震が起きたため「慶長伏見地震」と名付けられました。



最新の調査結果によると、まず9月1日に松山付近に分布する中央構造線活断層帯の川上断層によって慶長伊予地震が発生し、その3日後に別府湾で津波をともなうM7程度の慶長豊後地震が発生したと推定されています。


この2つの大地震の後で慶長伏見地震が発生しました。


伊予から伏見地震で揺れたとされる淡路島までは、約200キロメートルの距離があります。


この間の四国中東部では、とくに地震による被害記録は残されていませんが、中央構造線活断層帯の複数のトレンチ調査では16世紀頃に動いた痕跡が発見されています。


伏見地震の際、もしくはその前後で、中央構造線も大地震を起こした可能性があるのです。



京阪神・淡路島に多大な被害をもたらした慶長伏見地震は、複数の活断層によって引き起こされたと考えられます。


有馬・高槻構造線活断層帯も動いていたことは確実で、特にこの断層帯の東延長に位置する伏見での被害が大きかったと記録されています。


また、京都府が1998年に実施した地震探査では、宇治川沿いに宇治川断層という伏在断層が発見されました。


伏見での顕著な被害は、宇治川断層も同時に動いたことによるものだとも考えられています。



淡路島北部では、野島断層と反対側の東岸に東浦断層や野田尾断層、淡路島中央部には先山断層という活断層が分布します。


これらの発掘調査でも、最近数百年間に活動した痕跡が見つかっています。


有馬・高槻断層帯では淡路島の被害状況を説明できないことから、これらの活断層も同時に活動したとみられています。


その他、六甲・淡路島断層帯の神戸側の五助橋断層でも同時期の断層運動の痕跡が発見されています。


慶長伏見地震も4つから5つの断層帯が関与する連動型内陸地震だったのです。


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