南海トラフ地震警戒情報

自ら四国沿岸部へ移住し南海トラフ地震の観測、研究をしています。南海トラフをはじめ、その他の巨大地震などを潮位、地殻変動、マグマ、火山活動や静穏化現象などの様々な異常を総合判断し、警告します。 ※人的被害を減らすのが目的で、予言などではありません。


地震や火山噴火の防災にも重要な「斉一説」と「激変説」

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現在では、生物が進化と絶滅を繰り返してきた様子から、生命と地球は同時並行で変化してきたこと、すなわち地球の歴史に関する基本的な構造である「生命と地球の共進化」の姿が明らかになっています。


しかし、そこにたどりつくまでには、いくつもの激しい論争がありました。


過去の学者たちは化石を見てどのように考えてきたのでしょうか?



なぜ山頂で海の生物の化石が見つかるのか?


化石は、現在の生息域とはまったく異なる場所で見つかることがあります。


例えば、海に棲む貝の化石が高い山の山頂から発見されたこともあります。


こうした事実は中世のヨーロッパでも知られており、長い間大きな謎とされてきました。


この理由を推論したのが「レオナルド・ダ・ヴィンチ」でした。


彼は土木工事に携わっていたときに、かつて海底で生きていた貝の化石が地層に埋積されているのを見て、それらは何らかの地面の動きによって陸地に上がったのではないかと考えました。


当時は、山麓で貝の化石が見つかる原因は、聖書に書かれている「ノアの洪水」によるものだと信じられていました。


大洪水で犠牲になった生物の死骸が山で見つかっているのだと信じられてきたのです。



しかし、ダ・ヴィンチは山麓にある複数の地層から貝の化石を発見して、
「ノアの洪水によって化石が運ばれたのであれば、化石は一枚の層からしか発見されないはずだ。」
と考えたのです。


そして山で海の化石が見つかる理由は、海底が隆起したからであると結論づけました。



その後、17世紀デンマークの解剖学者でのちに聖職者となったニコラウス・ステノは化石を研究し、過去の生物に由来するものであることに気づきました。


化石には現世の生物そっくりに見えるものがありますが、当時はそれは地中で自然に形成されたものだと考えられていました。


つまり、岩の中で自然に誕生したものが成長して化石として発掘されたという説です。


これに対してステノは、地中海に泳いでいるサメを解剖し、地中から見つかる「舌石」がサメの歯の部分であるということを発見しました。


さらにステノは地層に関しても、上に堆積した地層ほど新しいと考え「地層累重の法則」を世界で最初に発表したのです。


これを受けて、のちの地質学者たちは、化石から地層の時代や過去の環境を知ることができると考え、化石や地層は聖書の記述よりもはるかに長い時間をかけて形成されたのではないかと推論しはじめました。



地球の年齢


かつて、地球には何十億年といった長い歴史はないと考えられていました。


たとえば聖書には「地球は神が6日間でつくり、その後の歴史もせいぜい数千年程度である」と書かれています。



18世紀になると、地層の成因と地球の年齢について、科学的な検討が始まりました。


地層は非常に長い時間をかけて形成され、さらに多様な変成を受けることはわかってきたのですが、それがどのくらいの時間で起きるのかが見当もつかなかったのです。


まず、ドイツの有名な地質学者は、地球上のほとんどすべての岩石は、水中での堆積作用によってできたと考えました。


これに対して、イギリスの地質学者は、地層の詳しい観察から、岩石は地球内部の熱の作用でつくられると考えました。


また、地中の高熱は堆積した地層に変化を与えることを発見し、「火成説」と呼ばれる岩石の成因論を展開しました。


そして、この論争は最終的にこの「火成説」に軍配が上がり、19世紀を迎えることになります。



斉一説


19世紀頃、「斉一説」と呼ばれるものが発表されました。


これは、地球の歴史では斉しく一様な現象が発生してきたと捉え、過去に起きた地質現象はいま進行中の現象と同じ自然法則のもとで形成されたとする考えです。


たとえば、大昔から流れ続ける川は、少しずつ地面を削りながら現在の地形をつくりましたが、その営為はいまも昔もまったく同じです。


このように大地で見られる事実は急激に発生したものではなく、長い時間をかけて続いた現象の累積であると推論しました。



急激な地殻変動も、現在も行われている緩慢な作用を長期間かければ形成されると考えました。


しかし、地質作用がこのようにほぼ一定の様式で、同じような強さで起きるのならば、地球の歴史は当時信じられていた数千年程度ではなく、もっとはるかに長い可能性が出てきたのです。


斉一説は、過去の地質時代に起きた事象を、現在みられる現象によって説明できます。


つまり、斉一説が過去・現在・未来に成り立つと考えると、「過去は未来を解く鍵」にもなります。


これは現代の地震や火山噴火の防災に用いられる重要な概念となっています。



激変説


地球の歴史では「天変地異」といってもよいような現象もたびたび起きています。


突発的な激しい大異変が幾度か繰り返され、そのたびに前の時代の生物はほとんど死滅。
そして生き残った一部の生物が、世界に広く分布するようになったことは事実です。


天変地異のあとに新しい種類の生物が発生したという考え方を「激変説」と呼ばれています。


例えば、聖書に書かれた「ノアの洪水」がその例です。


大洪水という天変地異によって地球上の生物はほとんど絶滅し、残ったものが地球上に広がっていったとする説明です。



フランスの古生物学者ジョルジュ・キュビエは、パリ盆地に出てくる化石を丹念に調べ、地層ごとに出てくる化石は異なるという事実を得ました。


つまり、局部的な天変地異が太古に何度か繰り返され、生き残った生物が次代に繁栄したと主張したのです。


キュビエは当代を代表する生物学者であり、動物を解剖して「比較解剖学」の手法を確立した人です。


彼は中生代と新生代の脊椎動物の化石を比較して、それらが共通種をほとんど含んでいないことを発見し、そこから、動物は地殻変動によって急激な絶滅を繰り返すと考えました。


すなわち、世界の激変によって生物界の種類分布が再三、更新されたと考えることによって、化石生物の種類の交代を説明しようとしたのです。


こうした激変説は「天変地異説」とも呼ばれています。


しかし、当初多くの支持を得ていた激変説はやがて不都合な点がいくつも見つかってきました。


化石しか見られない絶滅種が、非常に数多くあったのです。


たとえば、中生代の恐竜のように、現代ではまったく存在しない種がたくさん発見されました。



放射年代によって決定した地球の年齢


斉一説と激変説の論争があり、その最大の争点となったのが、地球が誕生して以来、どれくらい時間が経過したのか、つまり「地球の年齢」でした。


聖書に書かれている地球誕生は6000年ほど前であり、最大に見積もっても26万年前程でした。


これくらいの年数では、地層が浸食や褶曲を起こしたり、その地層に多様な化石が含まれたりするには、あまりにも時間が短いと科学者たちは考えました。



地球の年齢という重要なテーマが決着したのは、新たな年代測定の技術が発展する20世紀後半でした。


地上に残された岩石が何年前にできたのかを数値で知るために、「放射性元素」を用いる方法が考案されたのです。



放射性元素とは、放射線を出しながら別の元素に変化する元素のことで、こうした現象は「放射壊変」と呼ばれ、多くの元素にその性質が確認されています。


つまり、天然には一定の時間が経つと放射線を出しながら壊変する原子が数多くあり、これらを用いれば年代を直接測定することが可能であるというアイデアが生まれたのです。



恐竜絶滅は巨大隕石の衝突によるものなのか?


斉一説が地質学を近代化し、有力になっていったのですが、その斉一説に対し、1980年以降に大きな反論が持ち上がりました。


地球を闊歩していた恐竜が、いまから6500万年前に突然姿を消しました。


この恐竜絶滅の原因は直径10キロメートルの巨大隕石の衝突によって引き起こされたという激変説が提唱されました。


その後、恐竜絶滅に関する論争は30年ほど続き、2010年頃に巨大隕石の衝突説がほとんど間違いないことが証明されました。


地球上に存在する生物の半分以上が大量絶滅する事件は過去に5回起きていると考えられています。


最大の例では95%の生物が死滅しました。



こうした大量絶滅のほかにも、地球史で確認されるさまざまな劇的な現象が、天変地異の発生によって説明できることが判明してきました。


具体的には、地球外の天体衝突、超大陸の形成と分裂、大規模噴火による環境激変、宇宙線の影響などが挙げられており、斉一説を基盤としてきた地球科学を揺るがす第一級のテーマになってきたのです。


地球学者と生物学者は丹念に地層と化石を観察することによって、地球の営みを読み解こうとしてきました。


「現在は過去を解く鍵」

「過去は未来を解く鍵」


という二つの発想は、地球に関する基盤研究だけでなく、地震や火山噴火の防災に関しても、重要な考え方を提供しているのです。