南海トラフ地震警戒情報

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高知県で想定34メートルの巨大津波 全国的に救援活動はほぼ困難に

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34メートルの大津波


朝日新聞
2011年8月27日
「四国に巨大津波の痕跡」


東日本大震災後の3~5月、津波が押し寄せた千葉県から宮城県の海岸近くにある川の水の出入りがない池や沼地10ヶ所を同じ手法で調査し、砂層を確認した。


最も厚い層は17センチで、実際の津波の高さと比較すると砂層の厚さは約100分の1という規則性があったという。


これを今回見つかった約2000年前の砂層の厚さに当てはめると、40~65メートルの規模の津波が押し寄せたことになる。


岡村教授は単純に逆算できないとしつつ、「過去の津波研究は古文書でその高さを推定してきた。記録が無い時代の津波の規模を推定するのに一つの基準になる」と話す。


これは高知大学の研究チームが発表した研究結果に関する記事です。


1707年の宝永地震で15センチ、1854年の安政南海地震で3センチという津波の堆積層がある中、土佐市の蟹ヶ池で2000年前の地層から50センチもの層を発見したといいます。


単純には考えられないものの、その規模は東日本大震災を超えるものだったことは間違いありません。



南海トラフ巨大地震での津波想定高は、黒潮町、土佐清水市で34メートル、大月町で27メートル、室戸市24メートル、高知市16メートルという想像を絶する数値が出てきました。


しかしこれは地層に残された歴史を見れば、決して大袈裟な想定ではありません。



高知県における地震・津波の記録は、奈良時代までさかのぼることができます。


684年白鳳地震に関しては、「日本書紀」に〈土佐国の田苑五十余万頃、没して海となる〉との記述があります。


こうした過去の地震では、そのたびに沈下や隆起といった地盤の変化が起きており、特に人口の集中する高知市では、宝永地震で2メートル、安政南海地震で1.1メートル、昭和南海地震で1.2メートルという地盤沈下の記録があります。


土佐藩が残した「国陵記」には、土佐の海岸各地で集落が全滅したと書かれています。


浦戸湾では約23メートルの津波が襲い、高知城下一帯が海になったといいます。
久万、秦泉寺、薊野、一宮、布師田、介良、大津の山の根まで浸水したとされます。


その被害の大きさから、時の藩主山内豊隆は一年間、幕府より参勤交代を免ぜられています。



当然、次の巨大地震でもこうした被害は起こり得ます。
県内の直接的な被害はもちろん、交通網が破壊・寸断されて地域の孤立化が起こり、救助・復旧に思わぬ時間を要する恐れもあります。


過去のデータから見た南海地震の発生間隔は約114年です。
前回の1946年より70年以上が経過したことになります。


ただ前回の南海地震は過去のものと比較して小さかったということから、次の地震までの間隔は平均よりも短くなるだろうと指摘されています。


高知県の地方気象台によると、前回の南海地震では、宇佐、須崎、上川口付近で5メートル前後の津波が押し寄せ、高知市では葛島の堤防が決壊し、南国市の布師田付近まで海水があふれました。


この時、地震により地盤が1メートルも沈下したため、完全に海水がなくなるまでに1ヶ月もかかりました。



高知県はほぼ壊滅状態?


東日本大震災以前の想定


南海地震が単体で発生した場合、最悪の被害を受けるのは四国南端の土佐清水市と想定されています。


東日本大震災以前のシミュレーションでも、第一波の津波が地震発生から数分後に市西部や市街地の清水地区に到達。


人口の約三分の一にあたる6000人が住む市街地は最高8メートルの津波でほとんど浸水し、海抜12メートルの高台にある市役所と小学校がかろうじて残るもの#の、市の主要施設や住宅はほぼ全滅。


県内沿岸部の早いところで3分、県東部で数分~10分、中部から足摺付近にかけてが15分~20分、足摺岬以西で20~30分、宿毛付近では40分ほどで津波が到達すると考えられています。



東南海・南海地震が連動したら?


東南海・南海地震が同時に起きた場合、室戸や幡多郡に最短10分で最高12メートル、平均5メートルの津波が来るという想定になっています。


また高知港のある浦戸湾は、内陸に深く入り込んだ地形になっていて、航路幅が170メートルしかありません。


2008年のデータでは、年間に入出港する1000総トン以上の船舶2252隻のうち、604隻がタンカーです。
もし海難事故が起これば数ヶ月は船舶の運行が不可能となります。



東日本大震災では、瓦礫とともに押し寄せる海水で仙台空港の滑走路がすべて冠水し、ターミナルビルの一階が水没、孤立した1200人を救出するのに二日間を要しました。


沿岸部にあって名取川と阿武隈川に挟まれる仙台空港と、同じく沿岸部で物部川と浦戸湾・国分川に挟まれる高知竜馬空港は、地形的に非常に似ています。


この浦戸湾や須崎湾が、津波によって大きな被害を受けたリアス式の気仙沼湾と似ているのも注意しなければなりません。



県内の被害想定は、2011年の第二次高知県地震対策基礎調査での発表で死傷者数約2万400人、うち死者は9600人に達します。


その7割が津波によるもので、2割が建物の倒壊など、そして残り1割が火災や崖崩れによると考えられています。



室戸岬に到達した津波は左右に分かれて、沿岸道路を呑み込みながら陸地に沿って北上していきます。


国道55号、56号、高速道路は地盤の弱いところから崩れていきます。


竜頭岬を通った津波は桂浜に侵入し、高知市内に流れ込んでいきます。
高知は元から地盤の低い地域で、瞬時のうちに海水は町にあふれ、市街地で唯一の高台である城山以外はすべて侵入する可能性があります。


それとほぼ同時に、高知県南端にある足摺岬には10メートルを超える津波が襲います。
津波は土佐清水の港に流れ込み、係留されていた漁船の大部分を呑み込み、市内へと流していきます。



高知県は海岸線が長く、そのうえ山がせまっています。
切り立った山は開発が難しく、幹線道路は海沿いにしか造られてきませんでした。


地震による土砂崩れや落石が起きると、国道32、33号線が寸断され、山間部集落は浸水を免れたにしろ孤立化の恐怖にさらされてしまいます。



高知県に限らず救援活動はほぼ困難


地震と津波が収まった後、全国から自衛隊や消防による救援活動が始まりますが、南海トラフ巨大地震という日本史上最大の広域災害では、なかなかすべての被災地域にその手が差しのべられることはないでしょう。


医療拠点となるべき病院も、ほとんど残らず、唯一持ちこたえた場所には、けが人や避難者が殺到し、病院そのものが避難所になってしまう可能性があります。



さらに安定した通信手段もなく、どこが孤立しているかを調べる術は人力以外になくなります。
そしてライフラインの断絶により衛生環境は悪化し、機動力の大きな源であるガソリンも供給されなくなります。


通常の地震災害であれば、せいぜい3日程度しのげば救助の手がさしのべられますが、このような状態では、一週間、10日、20日と自力で生き延びなければならなくなります。



こうした特に甚大な津波被害が想定されている高知県や和歌山県などでは、「可動防波堤」の調査が行われています。
これは浦戸湾の入り口で湾を封鎖して津波の勢いを弱めることで、住民が避難する時間を稼げるようにしようというものです。


また、集会所などの防水された地下に逃げ込む「津波避難シェルター」の建設なども検討されています。