南海トラフ地震警戒情報

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南海トラフ巨大地震の歴史 次はM9の地震と想定外の大津波になる可能性

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東海・東南海・南海地震とは


内閣府が発表した南海トラフ巨大地震の想定はマグニチュード9.1。


静岡県から紀伊半島、四国太平洋岸にかけて20メートル以上の津波が襲い、高知県では最大34メートルに達するところがあります。


津波高10メートルの自治体は90市町村、震度7の地域は10県151市町村に広がります。


さらに地震の発生から5分以内に津波が襲う地域も数多くあります。



東日本大震災以降、首都圏などでは地震活動が活発化になってきていて、その発生確率が着実に高まり、甚大な被害になると予測されているのが、東海・東南海・南海の各地震が連なる南海トラフ沿いの巨大地震です。


静岡県駿河湾から浜名湖沖までの領域で起きるのが東海地震、浜名湖沖から紀伊半島潮岬沖にかけてが東南海地震、さらにそこから西が南海地震とされています。


この領域がすべて連動して割れるとM9.1の超巨大地震が発生すると想定されています。


2003年、政府中央防災会議の「東南海・南海地震等に関する専門調査会」の発表では、三地震の同時発生でM8.7となり、神奈川県から宮崎県の太平洋岸に沿って震度6弱以上の揺れが起き、高知県などを10メートル超の大津波が襲うとされていました。


この時の被害予想が、午前五時に発生、風速15メートル、水門が閉鎖できず、住民の避難意識が低いというケースで、次のような被害想定が出されていました。


重傷者=約2万900人
救助が必要な人=約3万9300人
死者=約2万5000人
全壊=約96万棟
経済的被害=約81兆円



しかし、東日本大震災の発生で、政府は被害想定のさらなる見直しを行いました。


地震はマグニチュードが0.1上がると、そのエネルギーがおよそ二倍になるためです。


検討された想定震源域はこれまでより、九州・日向灘沖まで約150キロ延長されました。
その結果、津波の高さは過去の想定の2~3倍となりました。


また、南海トラフ沿いでは、1854年に紀伊半島潮岬沖から駿河湾までのプレートがずれました。
ところが、1944年の昭和東南海地震では、東海地震が起きていません。


つまり、東海地震部分のプレートがずれ残った可能性があります。
これが150年近くたった現在、東海地震はいつ起こってもおかしくないと言われている根拠の一つです。


歴史上、東海地震、東南海地震、南海地震と東から順番に発生するか、あるいは同時に発生しています。



歴史の見直し


昨年12月2日、ちょうど400年前に東北を襲った地震を考え直すシンポジウムが東北大で開かれました。


1611年に起きた「慶長三陸地震」でした。
東日本大震災に匹敵する大津波は、869年の貞観地震の後にも来ていたというものです。


岩手中部で20~25メートル、宮城南部や福島北部でも5~13メートルと推定され、「大波、山の如く」、「引き潮は古木家どもを引き連れ」、「死者3000人以上」と古文書は伝えています。



また、貞観地震に関する資料には次のように記されています。


内陸の奥深くまで一面水浸しとなり、野原も道も海となった。
船に乗ったり山にのぼる暇もなく1000人余が溺死し、田畑も財産も何も残らなかった。


また、その9年後には関東大震災、さらにその9年後には南海地震が起きています。



しかし東日本大震災が起こるまで、日本政府は巨大地震を想定するのに1896年の明治三陸地震(M8.2)を念頭に置いてきました。


その理由は、地震に関するコンピューターシュミレーションには、正確で詳細なデータが必要なためです。
そこで、比較的正確な記録がある過去100年程度の数値が使われてきました。
その最大が明治三陸地震でした。



しかし現実にはマグニチュード9.1の地震が起こりました。
そして、明治三陸地震を超える地震を示す記録が、1000年以上前の古文書に記されていたのです。


地震学で重要な役割を果たすのは統計、つまり歴史です。



東海・東南海・南海地震の歴史


南海トラフ沿いの地震記録は過去にいくつも残っています。


白鳳地震(684年)


南海地震と推定されるが、東海、東南海、南海の連動とする説もある。


仁和地震(887年)


東海、東南海、南海の連動地震と見られる。


永長地震(1096年)


東海・東南海地震。
皇居の大極殿に被害、東大寺の鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。
三年後に南海地震である康和地震が発生。


正平地震(1361年)


東南海・南海地震と見られる。
東海地震については不明。


明応地震(1498年)


伊勢、駿河などで津波が起き、死者三万~四万人。
東海・東南海・南海の連動地震とする説あり。


慶長地震(1605年)


東海・東南海・南海の連動地震と推定。
太平洋岸で津波が発生し、死者1000~2000人。


宝永地震(1707年、推定M8.6)


駿河湾から四国西部に至る東海・東南海・南海の連動地震と推定。
約50日後に富士山の宝永大噴火。


安政東海地震(1854年、推定M8.4)


駿河湾、遠州灘、紀伊半島南東沖の範囲で発生。
地震から約一時間で伊豆下田、遠州灘、伊勢、志摩、熊野灘沿岸に大津波が到来。
伊豆下田で推定6~7メートル、江浦湾で6~7メートル、伊勢大湊で5~6メートル、志摩から熊野灘沿岸で5~10メートルの大津波が発生。


安政南海地震(1854年)


近畿、四国、九州東岸の地域で、安政東海地震の32時間後に発生。
土佐では推定5~8メートルの大津波。

倒壊家屋3000余戸、消失家屋2500余戸、流失家屋3200余戸、死者372人余。

紀伊田辺領での津波は7メートルに達したとされる。

大阪湾にも2.5メートルの津波が襲い、木津川、安治川を逆流して8000隻の船舶破損、死者700人余を出した。


昭和東南海地震(1944年、M7.9)


震源は和歌山県新宮市付近で、被害は静岡、愛知、岐阜、三重に及んだ。


死者1230人、全壊家屋2万6130戸となっている。
津波は伊豆半島から三重県沿岸を襲い、その高さは尾鷲で約9メートルを記録した。


昭和南海地震(1946年、M8)


東海地域、四国沿岸、瀬戸内海沿岸、九州まで被害が広がった。
死者1330人、全壊家屋1万1591戸。
津波は高知県、徳島県、和歌山県に押し寄せ、和歌山と高知では4~6メートルに達したとされる。



最も新しく東海・東南海・南海の三連動地震とはっきりわかるのは、1707年の宝永地震です。


津波の記録は現在の千葉県から熊本県に至るまで残っています。


さらに同年、富士山の大震災が起きているのも印象的です。



その次に連動したと思われるのは、昭和東南海地震とその二年後に発生した昭和南海地震です。

つまり、南海トラフ巨大地震は三つの領域が同時に発生することもあるし、少し間を空けて起こる場合もあるということです。



2012年に内閣府が発表した被害想定は、南海トラフ全体で最大クラスの地震が発生すればどうなるか、というものです。


主な被害は、静岡、三重、和歌山、徳島、高知、宮崎などの沿岸部で、最悪のケースは30都府県で死者32万3000人、うち津波による被害者が23万人で、建物被害が238万2000棟に達する可能性があるといいます。



地震が同時ではなく、時間差をもって発生した場合、連動の場合ほどの規模にはなりません。


しかし複数の津波が重なり、高さはないが規模の大きい津波になる可能性はあります。
そうなると瀬戸内海沿岸にも津波被害が及ぶ可能性があります。


また、三つが連動して起きた宝永地震のように、宮崎県東部沖合の日向灘で新たな地震が発生して「四連動地震」となり、大津波が起きた例もあります。


一言でまとめると「M9の大地震の可能性、そしてその後に想定外の大津波が襲ってくる可能性がある」ということです。